2014年5月に行った山陽の城めぐりの旅。山口県 萩城編の続きです。

萩城の本丸へ到着しました!

萩城は関ヶ原の合戦後、毛利輝元が慶長9年(1604年)に築城を開始し、慶長13年(1608年)に完成しました。
指月山の山頂にある山城、ふもとの平城を合わせた平山城。
山城は詰城として「いざとなった時のおこもり場所」も兼ねていました。
周りを海に囲まれている鉄壁の守りを固め、平和な世の中になった江戸時代にあってでも「イザという時に抗戦できる城」を作ったのは江戸幕府からにらまれた時のためなのか!?とうがった見方をしてしまう。
そして本丸には五重五階の望楼型の天守が建っていました。明治7年(1874年)には城内の建物のすべてが解体されてしまったというから、あぁー。もったいない。

そして現在の萩城。
内掘は約36mもあり、本丸内門へは当時は極楽橋幸橋(さいわいばし)観音橋と呼ばれる木橋がかかっていました。

萩の旅

萩城 土橋と天守台跡

現在は暗渠構造の石橋になっていて、観光客はここから入場するのです。
入城料を払って、Go!

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萩城 土橋から見た天守台と指月山

土橋から見た指月山は、当時の絵図に残る山の絵そのまま!
いざとなった時の詰めの城があった指月山。周りは海だし、ワタシでも守りが堅いことがわかる。

自分が姫だったとして・・・うむ。ここになら住んでもよいかな。
安全そうだし

などと思ってみる。

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萩城 指月公園案内図

萩城内にあった地図。
「指月山の山頂の山城とふもとの平城がセットになった平山城」というのがよくわかる。
あの山の上まで行くとしたらけっこう大変だぞ。

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萩城

石垣は修復中でした。2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」対策かしら。

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萩城

おっ?石垣の雁木(がんぎ)か?

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萩城 内掘に面した石垣

雁木とは、石垣を登るために築かれている石段のことだけれど、なんで「木」という漢字があてがわれているのでしょうか。
船着場に築かれた桟橋のことをさすようなので、そこから来た言葉なのかしら。
萩城の雁木はこの一角だけではなく、石垣に沿ってずーっと続いているのです。

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萩城 石垣

石垣の上に登ってみた。
石垣の高さだけでも堀からは泳いで上がれないと思うけど、当時は城壁が建っていたのかも。などと思いながら歩くのが楽しいのだ。

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萩城 石垣

石垣の上はずーっと歩いて行けるのです。ちょっと狭いけど。

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萩城 指月山

石垣から指月山を眺めてみる。石垣に登った分だけ、ちょっと目線が低くなったかな。
でもやっぱり高い。あそこまで登るのは大変そう。

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萩城 天守台

石垣の上を天守台付近まで歩いてきました。
さすがに天守台には登れないや。
打込接の乱積みだけど、天守台の隅はきれいに扇の勾配を保っています。

この天守台の上に張り出した形で望楼型の天守が建っていたといいます。
堀に向かって張り出した天守は床下に石落しが備わっていたというから、おもしろいかたちの天守だったのかもしれません。

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萩城 天守台の石垣

天守台の石垣。隙間はあるけど、攻め入る隙ナシ!です。
近くで見ると石を加工して割った「矢穴」の跡が残っているのがわかります。

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萩城 石垣の雁木

石垣から天守台は高くてよじ登れないので、いったん石垣からは降りることに。
うぉ。けっこう段差が急だぞ。
登るの時は意気揚々としているんだけど、降りるのが怖くて毎回登ったことを後悔するんだよな。

でもやめられない・・・。

<萩城 天守台編へ続く>

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