北の総門の見学を終え、自転車を走らせて萩城へ向かいます。
ここから先は三の丸。城内に入ったということで、道幅も広くなり、車の往来も多くなってきた。
建っている建物も一軒一軒が大きい!お屋敷ばかり。
ここは昔は侍屋敷が立ち並んでいたわけで、江戸時代の古地図を見ると「侍屋敷」書かれています。

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武家屋敷

こんなお屋敷や

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武家屋敷

こんなお屋敷が並びます。

旧繁沢家(はんざわけ)長屋門や旧周布家(すうけ)長屋門など、藩に仕えていた武士たちの屋敷跡が残ります。
いわゆる「萩城下町」にあった家とは趣が全く異なり、「要職にあった家来の家」という雰囲気が伝わってくる。
時間がなかったので通りに面した長屋門を眺めただけだったけど、(中に入れるのかな?)「門」というより、「建物」ですわ。

基礎は切石積みの上に下見板張りの壁、さらにその上に白漆喰大壁造りの壁が。
手がかかってるなぁ~。
江戸中期の代表的な武家屋敷だそうな。

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萩城 三の丸

切石の上の白漆喰の壁が興味深い。
お城めぐりをするとこういう壁を見るけれど、ところどころ朽ちているのを見ていると、どういう造りをしているのかがわかって面白い。
土を固めて作っている壁もあれば、間に瓦を挟んでいるところもある。
日本城郭検定の勉強をしていると壁の造りについて問題が出てくるけれど、「瓦を間に敷き詰めた壁」ってこういうことか!

北の総門から自転車をシャカシャカ走らせて約10分。おっ!萩城らしくなってきたぞ!

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萩城 東門跡

たぶん写真の右側の橋が三の丸と二の丸をつなぐ東門
手前の石垣付近には時打櫓(ときうちやぐら)があったんだろうな。
案内を見ると萩城跡の入口は違うようなので、案内板にそって再びシャカシャカ。

「萩城址入口」の交差点 を入り、城っぽくなってきたところで自転車をとめていよいよ潜入。

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毛利輝元公の銅像

毛利輝元公のお出迎え。
毛利輝元は「三本の矢」の逸話で有名な毛利元就の孫にあたります。
2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」や他の時代劇でも「ちょっと頼りない当主」といったイメージな人のように描写されることが多い。11歳で家督を相続したというのだから、無理もないか。
しかし豊臣政権下ではなんといっても五大老のひとり。権力だけは誰にも負けないっ!
その後、毛利輝元は1600年の関ヶ原の合戦で敗れて周防・長門の二国に減封され、広島城から移ってきました。

「軍師官兵衛」で印象的だったこと。
まだ四国や九州征伐をする前、豊臣方につくことをプッシュされている時に、吉川元春が断固反対していたところに小早川隆景が「毛利は元就公の遺言で「天下を狙ってはいけない」と言われている。豊臣方につくことが毛利が生き残る道だ」といったようなことを言っていて、毛利というあれほどの大家であっても、天下を狙うということとは別のポジションにいたんだー。と思い、印象に残りました。

そんなときも輝元公は、その場にいたかいないかよくわからないような存在感だったけど。

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南門跡

南門跡。お約束通りのうねうねっとした石垣。

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南門跡

本丸に向かう間には こんな場所もあったり。土塁???
なんでも史跡と考えてしまうのは、城好きゆえ。

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萩焼史料館があったり。

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萩焼史料館

萩焼史料館を抜けると本丸内門が見えてきました。

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萩城 本丸内門

<萩城 本丸編へ続く>

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