長浜城と小谷城の旅(8) 姉川の古戦場 血原ってなんかやばい雰囲気!?

2日目 関ヶ原から戻ってきての姉川の古戦場

関ヶ原から戻ってきて、帰りの新幹線まで時間があったので長浜の姉川の古戦場跡に行ってみました。
写真は合戦の場となった「野村橋」付近。

姉川の古戦場
野村橋

姉川の戦いは、1570年に起こった合戦。
織田信長、徳川家康の連合軍 VS 浅井三姉妹の父である浅井長政、朝倉影健連合軍との戦い。
大河ドラマ「功名が辻」では、山内一豊が初陣として参加し、死ぬ思いをして戦った戦として描かれていました。一豊だけでなく、織田・徳川軍には木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、柴田勝家、酒井忠次などが参加していました。

一番激しい合戦の場となった野村橋付近。
この橋の下は両軍の犠牲者の流れた血で姉川が真っ赤に染まったという話が残っているくらいです。橋のたもとでは事故や事件が多く、それがどれも「首」にかかわるもので、都市伝説のようになっているとかなんとか。

姉川の古戦場
姉川合戦の説明版

2011年の大河ドラマ「江 ~ 姫たちの戦国」でこれから絶対注目されるであろう古戦場です。
この橋の下だけでなく、もっと広範囲で戦いが繰り広げられたそうです。

姉川の古戦場
野村橋

野村橋の上から眺めるとこんな感じ。
この川を挟んで織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が死闘を繰り広げました。天気も悪いし、なんか、写ってはいけないものが写ってもおかしくない感じ・・・。

姉川の古戦場
野村橋付近にある慰霊碑

この戦いでは両軍で約2,500人が戦死したと伝わっています。信長も書状で「野も田畠も死骸ばかりに候」と記したほどです。

姉川の古戦場
血原(ちばら)の看板

野村橋から車で3分くらいのところにある「血原(ちばら)」という地名の場所にきました。姉川の合戦で多くの血が流れて真っ赤に染まったという話がそのまま地名になったという。今は公園のような広場になっています。
近くには「血川」という地名も残っています。すごい地名だ・・・・。

看板の上に、朝倉軍の武将である真柄十郎佐衛門直隆がふるった大太刀の原寸大が再現されています。
長い。その長さ175cm!こんなの振り回しているうちにぐさっとやられそう。

姉川の古戦場
血原

血原公園のまわりは田んぼでとってものどかな光景。
ここで血なまぐさい戦いが繰り広げられたなんて、今となっては信じられません。ここらへんは、マニアックなガイドブックでないと載っていないかもしれません。地元の友達でも知らなかったそうな(笑。

姉川の古戦場
血原

血原の公園からすぐ目に入るところに看板が。近くにはここにも慰霊碑がありました。
この看板。ものすごく年代物な感じ。こういう絵のテイストが一番怖いんだよな。残念ながら古すぎて、書いてある文字も印刷が薄くなってました。こういうのも整備してくれるることを求む。
描かれているのは大太刀をふるっている真柄十郎佐衛門直隆だそうな。

姉川の古戦場
血原養水底樋跡

字は違うけれど「用水」をひいた跡なのでしょうか。血原公園では小さな人工的な川が流れていたので、それが関係あるのかも?
この上の堤をあがっていくとまた川があり、地元の方いわく、ここも両軍の血が流れたという。
現在は桜の時期はとってもきれいで、お弁当を持って花見に来る人が集まるそうです。

姉川の古戦場
血原

姉川古戦場の碑。
この血原は徳川軍と朝倉軍がぶつかった地で「千人切りの丘」とも言われたそうです。

●姉川古戦場
 住所:長浜市野村町
JR長浜駅から車で20分

最後は紅葉がとっても美しい場所に行ってきました。<続く>

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2018年にも行ってきました!姉川の戦い古戦場めぐり。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』でも徳川家康が姉川に出陣していました。歴史をさらに紐解いています。

お城に恋して。

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