長浜城と小谷城の旅(5) 小谷城 山城ってこんなに苛酷なのか!

夕飯まで時間があったので、つづらお峠から小谷城まで戻ってきました。
だいたい40分くらい。けっこう近い。
当時、そこまで貪欲な城好きではなかったので、「時間があるから行ってみようか。」ぐらいの気持ちだったんだけど、この考えが甘かった。

小谷城
湖北町観光案内図

写真は小谷城のふもとの駐車場にあった看板。
小谷城は織田信長の姪である浅井三姉妹が生まれて育った城で、山城です。
このとき(2010年11月)は、2011年の大河ドラマの準備で山のふもとでは展示会の工事が行われていました。

小谷城
車で行ける限界まで車で行く!

車で行けるおそらく一番上のところまで行くと、数台停められる駐車場がありました。そこに車を置いてお散歩開始~。
山の上は紅葉が始まっていてとてもきれい。
コンクリートで舗装された道路をゆっくり登っていきます。

小谷城
紅葉ハイキング

琵琶湖の風景は楽しむことはできなかったけど、この紅葉の色づきは本当に素晴らしい!
紅葉ハイキングを楽しみました。
そう・・・楽しかったのはここまでなのです・・・。

小谷城
案内図

小谷城跡の登り口にある看板。ここから本格的な小谷城跡ハイキングはスタートです。
ここまではコンクリートで舗装されていたんですけどね・・・。
ここからはけもの道のような道なき道を登っていくことになるのです。

小谷城は浅井氏三代の居城でした。
朝倉側に味方についた浅井長政を、織田信長は自分の妹である「お市」が嫁いでいるにも関わらず、攻め落としてしまう

看板が開設してくれているけれど、頂上に天守がでーんとあるのではなく、山の尾根沿いに家来たちの屋敷が点在したり、ふもとの町をぐるっと山で囲んでぽつぽつと出丸があったりと、戦国期のザ・山城なのです。
本丸を中心とした連郭式の山城で、浅井氏の居館や家臣団の館があった清水谷清水谷の向かいの尾根には大嶽城(おおづくじょう)、福寿丸、山崎丸などの砦がありました。
なんせ、山の上にポツポツとあるもので、全部まわるのはまず無理!
姉川の戦いの時もここから出陣したというけど、ここを攻めるのも大変だけど、住んだり、出陣するのも大変そう。
でも、このくらいのところじゃないとあっさり攻められてしまうのだ。

車を停めたところからすぐ近くにある金吾丸という曲輪を通過し、やってきました。

小谷城
番所跡

小谷城の番所跡です。
この道の左側に番所の建物があったのかなぁ。
ここから急にきつい上り坂になるんでびっくり。この坂を登っていくのか!?
小谷城は中世の城郭建築としては、とても優れた城だったそうだけど、これを馬で登って行ったのかなぁ。

番所跡を越えたら御茶屋という曲輪があって、ここが主郭の最先端だったそうな。
曲輪の真ん中を低い土塁があったそうだけど、登るのが精いっぱいでよくわからず。

御茶屋から先は、御馬屋(おうまや)、馬洗池、桜馬場(さくらのばば)へ。
その先は黒金門跡、大広間、そして本丸に到着。
本丸の東には浅井長政が自刃した赤尾屋敷跡があり、これを通りすぎると中丸(なかのまる)、京極丸、そしてこの尾根の一番高いところにある山王丸に続くのです。

御一行、とにかく行ける所まで登るのです。

小谷城
本丸まで400m

駐車場を下りた登り口から本丸跡までは400m。約15分と書いてありました。
でも、この400mをなめてた・・・。

さすが山城。
この道を馬に乗って登ってたの!?とびっくりするくらいの急こう配なのです。
番所を通過してきたけど、あと240m。
これがまた大変なんです。

そして御馬屋という広い曲輪を通過。
本丸の直前にあって、本丸を守るための曲輪だったとのこと。
馬の休息所というか停留所のような場所だったのかなぁ。
三方を高い土塁で囲まれていたというのだけど、登ってくるのが精いっぱいでよくわかりませんでした・・・。

小谷城
馬洗池

馬洗池。御馬屋の奥にあり、馬を洗ったと伝わっています。
今も少し水が残っていました。
湧水ではないけど、当時は年中、水が絶えなかったそうです。

小谷城
桜馬場

この頃にはかなり暗い。フラッシュ焚いて撮影するとこの暗さ!でも登る!
ここは桜馬場という曲輪跡。
曲輪とは、城のまわりに築いた土塁や石垣のことで、築城するにあたり、城を守るために戦略的に作られた場所。
ここまでの登り口に黒金御門があってその門を通らないと上にはあがれない。
敵に攻め込まれた時は、はこの桜馬場から門下に攻撃をしていたのかもしれません。
西側の曲輪には、建物の礎石も残っているそうな。

ここから見る景色はとても素晴らしいそうです。
暗くて奥に行く気にもなれなかったけど・・・。

小谷城
供養塔

確か、桜馬場にあったんじゃなかったかな。
「浅井氏及び家臣の供養塔」です。
そうだよね。浅井一族だけでなく、この山城にはたくさんの家臣の屋敷もあって、ここで命を落とした人がたくさんいたんだよね・・・。

小谷城
小谷城跡之碑

供養塔の背後に建っている記念碑。
供養塔の後ろのが一段高くなっていて、大広間跡にあたります。
この横の坂道というか階段をまた登ってい大広間へ行くのです。
本丸までの合計400mの道のり。かなりしんどいぞ・・・。

小谷城
首据石

番所跡から登って5分。首据石に到着。
ここに罪人の首を据えたという。
地元の人の案内でも「なんとなくそんな場所があった」というほどしか知られてなくて、「首切り石」とかいろいろ呼ばれているみたいです。
浅井氏が殺害した今井秀信の首をさらしたと伝えられています。

小谷城
赤尾屋敷跡の碑

首据石から右に200メ-トルほど入って行くと、赤尾氏の屋敷跡が。
赤尾氏は重臣で、家臣の屋敷では最も本丸に近いところにあったそうな。
浅井氏からは信頼されていた武将だったのでしょう。
そして赤尾屋敷は三姉妹の父でお市の方の夫である浅井長政が自害した場所と伝えられています。
今は敷地内にひっそりと石碑が建つのみ。
でもなんか、雰囲気があるところです。おどろおどろしいというか・・・。

小谷城
黒金御門跡

あー。日が暮れてきて光が足りなくなってきた・・・。
調整しようとしたらボケてしまった。

黒金御門跡に到着。
写真は黒金御門跡の右側。
ここらへんは登るのに必死で、もう、石の合間に手をつけないと登れないくらい
かなりしんどい。

こんなところに城、建てないで・・・。
わらわはこんなところを出入りしたくない!
と、姫気分になってみたけど、あ、そっか。普通のお姫様は城の外には出ないんだった・・・。

小谷城
黒金御門跡

こちらも黒金門跡。
「黒金」=鉄のこと。大広間につながる門があったと伝えられています。
門の両側には大きな石で石垣が築かれている。
もうちょっとひいてこの前の写真と合わせて撮影すればよかったんだけど、このときは17時ちょっと前。
ひいってとると光が足りず、真っ暗になっちゃいました。
この門を通過すると、いよいよ城の中心部、本丸です。

黒金御門跡を通過すると大広間跡です。

小谷城編 続く

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